亀並みの更新速度で頑張るつもりです。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 うちの犬、ゴンはもう今年で16歳になる。 人間でいうとかなりの高齢者というところだ。 でも散歩に行く時とかは楽しそうに歩くから、まだ大丈夫だと思ってた。 しかし体調とかは急激に変わるものだという事を改めて実感した。 朝、最初に起きたのはお母さんでやりたいことがあったから少し早めに起きたらしい。 私がおきるまでの出来事は知らないが、多分あの時間帯の出来事が大きいと思う。 ゴンはもう高齢犬ということもあって、ここ半年あたりからフンやおしっこを散歩じゃない時にもするようになり始めた。 いっぱい鳴いて、私達にうったえた上でしてしまったなら仕方ない。散歩に連れて行かない私達が悪いのだから。 でもここ半年ほどはそうじゃなかった。 全然鳴いていないのに、気付いたら粗相をしていた。 歳のせいもあると思う。ボケ?更年期障害?よく分からないがそんなものだと思う。 そして粗相した後の始末をするのはたいていお母さんだった。 今朝もそうだった。 お母さんが朝起きたらゴンはフンをしてあって、お母さんが残念ながらも後片付けをしていたらしい。 でも、お母さんが後片付けをしている時、横でゴンがおしっこをし始めたそうで、お母さんはこれ以上汚されたらたまらんと思い、ゴンを庭の木につないだ。 片付けが終わってお母さんが庭へ見に行くと、ゴンのロープが庭の木にぐるぐる巻きになっていて、泡を吐いていたそうだ。 泡を吐くことはめずらしいことでは無く、たまに玄関(ゴンが寝ている場所)で泡を吐いていたりする。 が、今回は状況が違う。 寒い朝、庭の木にぐるぐる巻きになっていたのだから。 お母さんはいそいで玄関にゴンを引っ張っていった。 もうその時から立てなくなり、引きずるような感覚だったと思う。 その時に私が起きてきた。 おかさんはゴンをゴンがいつも寝ている箱に押し込むって言い方はおかしいかもしれないが、実際押し込んでいた。 お母さんは「もういいから寝てな!」といいながらゴンをおしこんでおり、何事かと思った私は、ただその光景を見つめていた。 私に気付いたお母さんは「もうゴンは駄目かもしれない」と言い、早朝の出来事を早口で説明する。 実感が湧かない私は無言でリビングに戻り制服に着替えた。 またゴンを見てみると、泡をはいており、立とうとしても足に力が入らず、すべっているゴンの姿を見た。 その時急に実感が湧いてき、私は泣いた。 「いつも邪魔者扱いをしてごめんなさい。」 邪魔者といったら言い過ぎだろうか。でも、そういう事を思ったことがあのは事実だ。 それからお母さんは寝ている姉たちを起こし(お父さんは社内旅行でタイへ。ありえん。)、玄関にみんなそろった。 みんな泣いていて、ただ「ゴン、ゴン」と呼びかけなでる。 「うるさい」と怒鳴ったりしてごめんなさい。悪いのは私達なのに。 お願い、どうかゴンを連れて行かないで。そればかりを考えていた。 だがいつまでもゴンを見ているわけにはいかない。私だって学校がある。 出ようとした時、姉が「ぐるぐる巻きになって胃液とかでちゃったから今は元気無いんじゃない?」と言った。 その言葉は、裏を返せば少しすれば元気になるのではないか、ということで、私としてはその可能性を信じることによって、悲しい気持ちを紛らわすことができた。 学校では友達と話すことによって気が紛れ、ほとんどネガティブになることは無かった。 楽しかった。 家に帰ると、ゴンはまだ大丈夫だった。 そして、立っていた。まあ立っていたといっても壁に寄りかかってだが。 いつもだったらそんな姿を見たら情けないと感じるかもしれないが、あの時は嬉しかった。 生きているだけでも嬉しかったが、さらに立ち上がっていたことは本当に嬉しかった。 しかし夕方、ゴンを見かけると瞼がピクピクしており、目は何を見ているか分からない状態だった。 ずっと寝っぱなしで立ち上がろうともしない。 私が「ゴン」と声をかけても顔がこちらを向くことはない。 聞こえているかどうかも怪しいところだった。 ゴンの目に私が映ることはもう二度とないのではないか。 そう思うと涙が止まらなくなり、声をあげて泣きたくなった。流石に、実際に声はあげなかったが。 そんなゴンの姿を見ると、三年程前になくなったおじいちゃんを思い出した。 その時おじいちゃんは奈良の親戚お世話になっていて、私は夏休みに姉と奈良の親戚の家に泊まっていた。 病院に入院はしていたが、その割には元気で、私がお見舞いに行った時も、元気だった。 私達が帰る頃に軍歌(っぽいもの。実際はよく分からない)を歌ってくれたり、とにかく良くしてくれた。 でも、歌を歌った日から一週間も経たないうちに、おじいちゃんは亡くなった。 何日前かは忘れたが、午前4時ごろ、奈良の親戚のおばさんに起こされ、「おじいちゃんの具合がよくないみたいやから、病院にいくで」と言われ、病院に向かった。 おじいちゃんはもう意識はほとんど無いようで、時折からだが痙攣する、という状態だったと思う。 お医者さんに「声をかけてあげて下さい」と言われ、どんなに呼びかけても、おじいちゃんがその呼びかけに応えることはなく、逝ってしまった。 自分はあんなに良くしてもらったのに、私は何ができたんだろう。手を握ってあげることだけだろうか。 それだけでおじいちゃんは嬉しかったのだろうか。できることはまだあったと思う。 お話をすることもできたと思う。でも、おじいちゃんは、正直言って、何を言っているのかよく分からなくって、私としては内容が聞き取れなくて少しお話はニガテだった。 おじいちゃんには少し特別な話があるのだが、それはまた別の機会に。 結局私が言いたいのは、後から後悔しても遅いと言うことだ。 失ってから気付く大切なものの重みとか言うが、まさにその通りだと思う。 後悔しないような、人への接し方を改めてかんがえなければならないと思う。 やはり朝の出来事、外に出したことは大きいとおもう。 でもお母さんはいつも後片付けをしてくれていて、そんな事をしてしまう気持ちも分からなくは無い。 それに、私にそれを責める権利も無い。世話をちゃんとしてあげられている者が言うセリフだ。 これから後悔しないように、いろんなものへ接したい。 くどくどと長い文章でした。失礼します。 PR |
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かずみ
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女性
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1995/04/02
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中学3年生
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読書とかいろいろ
自己紹介:
どうも。かずみと申します。
「初めまして」な方も「やぁ!」な方も自由にコメントして下さいな。更新できるか分からないけどww(ぇ 荒らし様はお断りです。 ブログに関しては初心者な自分です。 どうか生ぬるい目線で見守って下さい(・ω・)
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